大判例

20世紀の現憲法下の裁判例を掲載しています。

東京地方裁判所 昭和32年(レ)488号 判決 1958年7月28日

控訴人 岩田房吉

被控訴人 伊藤覚治

主文

1、本件控訴を棄却する。

2、原判決の主文第一項を次項のとおり変更する。

3、控訴人は被控訴人に対し別紙物件目録記載の家屋部分を明け渡し、かつ金二五、一三三円および昭和三二年三月二一日以降右明渡済に至るまで月金六五〇円の割合の金員を支払え。

4、控訴費用は控訴人の負担とする。

事実

第一、双方の申立

控訴代理人は、「原判決を取り消す。被控訴人の請求を棄却する。」

との判決を求め、被控訴代理人は、控訴棄却ならびに主文第二項同旨の判決を求めた。

第二、被控訴人の主張事実

一、訴外高野長吉は、昭和二〇年九月頃、当時同訴外人の所有していた別紙物件目録記載の家屋部分を控訴人に対し期間の定めなく賃料月金三五円毎月末日支払の約定で賃貸し、その後、右賃料は昭和二八年一〇月一日以降月金七五〇円とする旨合意したが、控訴人は昭和二九年一月分以降の賃料を支払はなかつた。

二、被控訴人は、昭和二九年一〇月二一日右訴外人から右家屋を買い受けて所有権移転登記手続を了し、控訴人に対する右家屋部分の賃貸人たる地位を承継するとともに、昭和三二年三月一七日右訴外人から、同人の控訴人に対する昭和二九年一月一日以降同年一〇月二〇日まで月金七五〇円の割合の延滞賃料債権合計金七、二五〇円の譲渡を受け、債権譲渡人たる右訴外人は同日控訴人に対し右債権譲渡通知をした。

三、控訴人は、被控訴人に対し、昭和二九年一〇月二一日以降の賃料を支払はないので、被控訴人は控訴人に対し昭和三二年三月一七日附内容証明郵便を以て昭和二九年一〇月二一日から昭和三二年二月末日まで月金七五〇円の割合の延滞賃料として金二八、七五〇円(計数上金二一、二五〇円の誤算)と前記訴外人から譲り受けた延滞賃料債権金七、二五〇円との合計金三六、〇〇〇円(計数上金二八、五〇〇円の誤算)を、右内容証明郵便到達後三日以内に支払うべき旨を催告するとともに、右期間を徒過すれば前記家屋部分の賃貸借契約を解除する旨の停止条件附契約解除の意思表示をした。

四、ところが、控訴人は、右内容証明郵便の到達した昭和三二年三月一七日の翌日から右催告期間たる三日以内に被控訴人に対し右催告にかかる延滞賃料を支払はなかつたので、前記家屋部分の賃貸借契約は同年三月二〇日限りで解除により終了した。

しかるに、控訴人は昭和三二年三月二一日以降、権限なくして尚も右家屋部分を占有し、この不法占拠によつて被控訴人は賃料相当の損害を蒙りつつある。

五、よつて、被控訴人は控訴人に対し、右家屋部分の明渡と、昭和二九年一月一日から昭和三二年三月二〇日まで、約定賃料を統制額の範囲に引き直しさらにこれを減縮した月金六五〇円の割合の延滞賃料合計金二五、一三三円、および、昭和三二年三月二一日以降右明渡済に至るまで月金六五〇円の割合の損害金の支払を求める。

六、控訴人の抗弁を争う。かりに、控訴人が訴外高野長吉に対し統制額超過の賃料を支払つたとしても、控訴人はその超過部分の債務の存在しないことを知りながら支払つたものであるから民法第七〇五条所定の非債弁済であつて右訴外人に対しその返還請求権を有せず、また、かりに控訴人が右訴外人に対して右返還請求権を有したとしても当然には昭和二九年一月以降の賃料に充当されるものではなく、まして被控訴人に対して相殺を以て対抗することはできない。

被控訴人の催告賃料が統制額を超過していたとしても、右催告は統制額の範囲内で有効であるから、これに基く前記解除が有効であることに変りはない。のみならず、被控訴人は右催告の後である昭和三二年七月一五日右催告の内容を訂正し、訴外高野からの譲受にかかる延滞賃料債権の額およびその後の前記催告にかかる期間の延滞賃料額をそれぞれ前記統制賃料額の範囲内である月六五〇円に引き直してこれを被控訴人に支払うべきことを催告する旨記載した内容証明郵便を控訴人に発し、その頃同郵便が控訴人に到達したにもかかわらず控訴人はその後も三日間に右各延滞賃料の支払をしないので、同年三月一七日附前記催告および条件附契約の効力に影響がない。

第三、控訴人の主張事実

一、被控訴人の主張事実中、一、二(但し延滞賃料債務があることは除く)、三の各事実、四の事実のうち控訴人が被控訴人の催告の到達した昭和三二年三月一七日の翌日から三日以内に右催告にかかる金員を支払はなかつたこと、控訴人が昭和三二年三月二一日以降も本件家屋部分を占有していること、五の事実のうち被控訴人主張の月金六五〇円が昭和二九年一月以降の本件家屋部分の統制額の範囲内であることはいずれも認めるが、その余は否認する。

二、控訴人に昭和二九年一月以降の賃料債務はなく、したがつてその不履行を理由とする契約解除は無効である。

すなわち、控訴人は、昭和二一年九月から昭和二八年一二月まで、本件家屋部分の当時の賃貸人であつた訴外高野長吉に対し、合計金二五、二二〇円の賃料を支払えば足りたのに拘らず現実には合計金八九、一〇〇円を支払い、結局この差額金六三八八〇円を過払いしたのであるが、この過払金はその一部において昭和二九年一月から同年一〇月二〇日までの右訴外人に対する賃料債務に充てられたものであるから、控訴人の訴外高野長吉に対する延滞賃料債務が存在する筈もなく、また、被控訴人に対する昭和二九年一〇月二一日以降の賃料債務も、控訴人は昭和三三年一月一七日本訴準備手続期日において、右過払金の残額の返還債務を承継した被控訴人に対し、対当額で相殺する旨の意思表示をしたので、消滅に帰したものである。

三、かりに、右過払金を以てする充当もしくは相殺が理由ないとしても、控訴人は賃料不払について遅滞の責を負はず、被控訴人の契約解除は無効である。

すなわち、控訴人は本件家屋部分において洗張業を営んでいたが、訴外高野長吉も被控訴人も賃貸人としての義務を尽さずことさらに右家屋部分の使用収益を妨害して控訴人の追出策を企図した。例えば、井戸端で洗張作業をすると道具が紛失するので、七米先で洗物をし五米先に汚水を捨てるという不便のため作業能率は約三分の一に減じ、また、控訴人の洗張営業に必要な本件家屋部分の南側の空地に梅および柿の樹木五本を植えられたため陽光をさえぎられ営業上莫大な損害を蒙つた。右のような事情のため、控訴人は本件家屋部分の使用収益を全うすることができなかつたので、賃料支払を差し控えたものであるから、控訴人は賃料不払により遅滞の責を負はず、したがつて債務不履行はない。よつて、控訴人の賃料債務不履行を理由とする被控訴人の契約解除は無効であるから控訴人は本件家屋部分の明渡義務なく、また、被控訴人がその賃貸人たる義務を尽すまで控訴人は賃料支払を拒むものである。

四、かりに右同時履行の抗弁が理由ないとしても、被控訴人の賃料催告は統制賃料額を超過する金員を催告したもので無効であり、従つてこの催告を前提とする契約解除も無効である。尤も被控訴人が右催告の後にさらにその主張のように内容を訂正した内容証明郵便を控訴人に送達したことおよび、その後も同訂正に従つて支払をしないことは認める。

第四、証拠関係

被控訴人は、甲第一号証ないし同第四号証を提出し、当審における被控訴人本人尋問の結果を援用し、乙第一、二号証の各成立を認め、同第三号証の成立は知らないと述べた。

控訴人は、乙第一号証ないし同第三号証を提出し、当審における控訴人本人尋問の結果を援用し、甲号各証の成立を認めた。

理由

一、訴外高野最吉と控訴人との間に被控訴人主張の本件家屋部分賃貸借契約が成立したこと、被控訴人が昭和二九年一〇月二一日右訴外人から本件家屋を買い受けて同日所有権移転登記手続を了し控訴人に対する右家屋部分の賃貸人たる地位を承継したこと、控訴人が右訴外人および被控訴人に被控訴人主張のとおり右賃料を支払わなかつたこと右訴外人が被控訴人主張のとおり延滞賃料債権を被控訴人に譲渡したとして被控訴人がその主張のとおり控訴人に対し前記家屋部分の延滞賃料支払の催告および同賃貸借契約停止条件附解除の意思表示をしたが控訴人はその催告に応じた支払をしなかつたこと、控訴人はその後も引き続き本件家屋部分を占有していること、被控訴人主張の月金六五〇円が昭和二九年一月以降の本件家屋部分の統制額の範囲内であること、被控訴人が前記催告の後さらにその主張のとおり内容を訂正した内容証明郵便を控訴人に送達したことは、いずれも当事者間に争がない。

二、控訴人は、昭和二一年九月から昭和二八年一二月まで、当時の賃貸人たる訴外高野長吉に対し合計金六三、八八〇円の統制超過家賃を支払つたので、その一部を以て昭和二九年一月から同年一〇月二〇日までの右訴外人に対する賃料債務に充て、その残部を以て昭和二九年一〇月二一日以降の被控訴人に対する賃料と対当額で相殺する旨主張するのでこの点について考える。

成立に争のない乙第一、二号証に控訴人本人尋問の結果を綜合すると、控訴人は昭和二一年九月から昭和二八年一二月までその額の幾何かを別として統制額超過の家貸を当時の賃貸人たる訴外高野長吉に支払つたことが認められるが、同時に控訴人は右統制額超過部分が法律上支払う義務のないことを知りながら支払つたものであることが控訴人本人の供述によつて認められるので、民法第七〇五条により、控訴人は訴外高野長吉に対し統制額超過部分の返還を請求することはできないものと解される。尤も、控訴人本人尋問において同人が訴外高野長吉は控訴人に対し、どこの誰は賃料をいくら支払つているとか、あるいは俺は警察に行けば知らない者は居ないとか、言つたこと、さらにまた、控訴人に対して本件家屋部分の明渡を求めて賃料の受領を拒んだため、控訴人が統制額超過の賃料を供託したと供述しているが、同供述内容の事情がかりにあつたとしてもそれを以て直ちに訴外高野長吉が統制額超過の賃料支払を控訴人に強制したものとともに解されず他に右民法第七〇五条の適用を排除せしめる程の特段の事情は認め難い。

右認定のように、控訴人が訴外高野長吉に対し統制超過賃料の返還を請求しえないものである以上、その充当もしくは相殺について判断するまでもなく、控訴人の右主張は失当である。

三、右説明のとおり、控訴人の過払金による充当および相殺の主張が理由ない以上、控訴人は被控訴人に対し、昭和二九年一月以降の賃料債務を負うべきであるが、控訴人は訴外高野長吉および被控訴人に賃貸人としての義務不履行があると抗争するので、すすんでこの点について検討するに、控訴人本人尋問の結果によれば控訴人が本件家屋部分において営んでいた洗張業の作業用道具が数回紛失したことがあり、また、訴外高野長吉が本件家屋部分の南側空地に柿の木および梅の木を数本植えたこと、被控訴人が本件家屋部分の出入口附近に箱を積んだことなどの供述があり、その供述内容が全く不実のこととも思えないが、これ等の事情から直ちに賃貸人として控訴人に本件家屋部分を使用収益せしめる義務を尽さないものと認めることはできず、また、かりに控訴人が右事情によつて本件家屋部分の使用収益に支障を蒙つたとしても、そのことで控訴人が昭和二九年一月以降の賃料債務全額の支払義務を免れ得る関係にあるものと認められないので、控訴人の右主張も採用することはできない。

四、そうすると、控訴人は被控訴人に対し、昭和二九年一月以降の賃料債務について遅滞の責を負うべきところ、その催告の効力について争があるのでこの点について審按する。成立に争のない甲第一号証ないし同第三号証に被控訴人本人尋問の結果を綜合すると、昭和二九年一月から昭和三二年二月までの統制賃料額合計が金二六、六二六円六七銭であるところ、被控訴人は昭和三二年三月一七日附内容証明郵便を以て控訴人に対し右期間の延滞賃料として金三六、〇〇〇円の支払を催告し、加うるに右催告金員に計数上の誤算があつたことが認められるが、統制額超過部分が右の程度であることおよび、被控訴人がその主張のとおりその後改めて右催告の賃料額を訂正して通告したことが当事者間に争のないことからすれば、被控訴人は統制額の限度の賃料でもその提供があればこれを受領する意思があつたものと解され、右催告はたとえ以上のような統制額の超過及び誤算があつたにせよその当初に遡つて統制額の限度で有効と解するのが相当である。

五、そうとすれば、本件家屋部分の賃貸借契約は、右催告期間の徒過によつて、昭和三二年三月二〇日解除により終了したものということができるので、控訴人は被控訴人に対し本件家屋部分を明け渡し、昭和二九年一月から昭和三二年三月二〇日までの統制賃料合計金二七、一一三円八七銭(昭和二九年一月から同年一二月までは月金六五八円六六銭、昭和三〇年一月から同年六月までは月金七一五円三四銭、昭和三一年七月一日から昭和三二年三月二〇日までは月金七三〇円八一銭)を月金六五〇円の割合に減縮した延滞賃料金二五、一三三円を支払い、かつ、昭和三二年三月二一日以降右明渡済まで右月金六五〇円の割合の損害金を支払うべきである。

六、よつて、原判決主文第一項を右のように変更し訴訟費用の負担について民事訴訟法第九五条第八九条を適用して主文のとおり判決する。

(裁判官 畔上英治 深谷真也 新谷一信)

物件目録

東京都世田谷区深沢町四丁目九番地の一二所在家屋番号五二

木造瓦葺二階建併用住宅一棟

建坪延三五坪五合(公簿上四〇坪五合)

の内

階下押入附八畳および三畳ならびに台所、縁、便所以上合計九坪七合五勺

自由と民主主義を守るため、ウクライナ軍に支援を!
©大判例